古中医は東洋医学と呼ばれることもあり、漢方治療や鍼治療などの、中国伝統医学のことを指します。その歴史は4000年前に遡ります。先人たちは、漢方薬の処方ひとつとっても、気が遠くなるほどの臨床によって、あらゆる体調不良や病状を改善する植物や鉱物を探し、または配合を調整することで、その答えを導き出してきました。古中医は、患者の体質改善を元に病気を根本から治癒したり、病気にならない体を作ることが得意です。同じ病気を治すにも、まずは患者の体質を診て、それに応じて使う薬(漢方薬)を変えます。

東洋医学はよく、あいまいで科学的ではないという意見もありますが、だからこそ、西洋医学では治らない病気への対応が可能であり、体質改善の分野では最先端を歩んでいるといえます。日本の医療業界の中でも古中医への期待が高まっています。2008年4月1日より、医療法施行令の一部が改正され、医学処置と診療科目の組み合わせが認められました。この改正に伴い、下記のように「漢方」を標榜することが可能になりました。

【漢方内科/漢方外科/漢方精神科/漢方アレルギー科/漢方リウマチ科/漢方小児科/漢方皮膚科/漢方泌尿器科/漢方産婦人科/漢方婦人科/漢方眼科/漢方耳鼻咽頭科…など】

最近アメリカでは、精神科の患者が減っていますが、それは患者自身が気功を練習して体を健やかに保ったり、漢方や鍼などの東洋医学での治療を受けるようになっているためといわれています。ドイツ、フランスなどのヨーロッパも同じ傾向にあり、世界各地で東洋医学が見直されてきているのが今の実情です。

中国最古の医学書 黄帝内径

古代中国で発展した医学の集大成が「黄帝内径(こうていだいけい)」です。今から2200年以上前の戦国時代(紀元前403~前221年)に書かれたとされる古典の名著で、黄帝とは名君の名前です。伝説によれば、現在確認できる最古の王朝、殷よりも前に、三皇五帝といわれる八人の聖天使たちが国を治めていた時代があったとされています。黄帝はその中の一人です。

黄帝内径は、基礎理論から臓器、生理学、病気の診断法や治療などの実践論、そして養生訓まで、今日の古中医の基礎原理を、ほぼすべて網羅している書物です。中国の戦国時代といえば、日本では縄文時代にあたります。その時代に書かれた黄帝内径の理論が、今日の古中医のベースになっているのです。いまでも「病気が治らないときには黄帝内径へ戻れ」といわれているくらいです。

傷寒論と金匱要略方論

この黄帝内径の基礎原理にもとづいて治療法を記したのが「傷寒論(しょうかんろん)」と「金匱要略方論(きんきようりゃくほうろん)」です。ともに後漢(紀元25~220年)の張仲景(ちょうちゅうけい)によって編纂されました。傷寒とは広義では温熱を含めた外部の病因である外邪の病症で、おもに経絡の病症をさします。全10巻のこの大書には、それぞれの病気の原因、症状、処方箋などが、ことこまかに記されています。経絡が中心の傷寒論に対して、金匱要略方論は経絡以外の病気、雑病を中心に原因から処方箋までが記されています。傷寒論や金匱要略方論が教える処方は、現在の医療の現場でも、日常的に使われているものばかりです。

神農本草経

黄帝内径と前後してまとめたとされるのが、神農本草経(しんのうほんぞうきょう)です。これは中国最古の薬学の本です。神農とは、三皇五帝のひとりの名前です。本草とは生薬のこと。神農本草経には、三六五種類の生薬が載っていて、黄蓮や麻黄、附子、大黄、半夏など、重要な生薬のほとんどが紹介されています。

黄帝内径が古中医の基礎理論を構築したのに対して、神農本草経は薬学の基礎を築いた書物です。やがて明(1368年~1644年)の時代に、李時珍によって「本草綱目」が出版され、中国の薬学は飛躍的な進歩を遂げます。27年間にわたって編纂された内容は、載っている生薬1892種のすべてを自分で食べ、「舌がしびれるので毒がある」といった具合に、ひとつずつ調べられたものです。毒草のせいで著者は何度も死にかけたそうです。中国の薬学は、それ以降も多くの先人の努力によって生薬の種類を増やし続け、今日の5000~6000種へと発展しました。

道家龍門派

道家龍門派(どうかりゅうもんは)は中国を発祥とする古中医の中の流派のひとつです。鬼谷子の流れをくむ道家全真教から発展したもので、1174年に丘処機(きゅうしょき)によって設立されました。(鬼谷子は、気功、予知学問、帝王学、風水、手相人相、占いなどに通じ、老子、孔子と共に戦国時代に活躍した思想家の一人)主に気功の修行を通して心身を鍛錬し、徳を修め、精神統一をはかることで不老長寿を目指します。

丘処機は時の最高権力者、元(げん)のジンギスカンに重用され、その後ろ盾もあって天下の道家を統括し1224年には北京に白雲観という壮麗な寺院を建立し、龍門派は中国全土に何十万もの寺を擁する一大勢力となりました。しかし元が終わり明の時代になると政府から激しい迫害を受け、以降往年の勢力を取り戻すことはありませんでした。それでも途絶えることなく八百年以上のもの間生き続け、長い伝統と歴史によって培われた気功の理論と技は多くの流派が乱立する中国気功の中でもひときわ異彩を放っています。